2018年11月17日更新

『千と千尋の神隠し』に込められた謎と、宮崎駿のメッセージを読み解く

©Studio Ghibli/Disney/Photofest

誰もが知るジブリの名作『千と千尋の神隠し』。掘り尽くせない謎やメッセージの奥深さが魅力の本作ですが、今回はストーリーを順に追いながら作品を紐解く考察を行います。

『千と千尋の神隠し』は監督のある思いから作られた

2001年に公開され、大ヒットを記録した『千と千尋の神隠し』。世界中で人気となり、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞しました。 そんな誰もが知る本作ですが、制作の裏側には宮崎監督のある思いがあったのです。

少女たちのために作られた作品

本作は主人公・千尋と同年代の少女たちのために作られたのです。千尋は「どこにでもいる少女」としてデザインされたヒロインでした。 宮崎監督は普段からジブリ関係者の子どもたちと親しくしており、彼らのことを「小さな友人」と呼んでいます。千尋のモデルとなった少女も「小さな友人」のうちの1人です。そんな監督だからこそ、子どもたちへ伝えたい思いも特に強かったのかもしれません。

宮崎監督の「小さな友人」たちへの思いとは?

本作では千尋が厳しくも美しい世界で奮闘する姿が描かれています。宮崎監督はそんな世界を舞台にすることで、「この世界がどんなに豊かで、たくさんの可能性があるかを描きたかった」とコメントしています。 そして本作について、「僕は彼女たち(少女たち)に『大丈夫、あなたはちゃんとやっていける』と本気で伝えたくて、この映画を作ったつもりです」と語りました。 監督は本作に、そんな「小さな友人」たちへのメッセージを込めたと言われています。 ストーリーを順に追いながら隠された謎について考察を進めていきます。

「千と千尋」のストーリーを復習!少女の成長を描く

本作に込められた謎とメッセージについて考察する前に、まずはストーリーの流れを整理しましょう。

起:千尋は神々の世界に迷い込んでしまう。

小学生の千尋は、両親の車で引っ越し先に向かっていました。しかし、道中で見つけた不思議なトンネルを抜けると、そこには誰もいない場所が広がっていました。実はそこは神々の住む世界。それを知らずに置かれていた食べ物を食べた両親は豚の姿に変えられてしまいます。

承:ハクに助けられた千尋は油屋で働くことに。

両親のところから逃げ出した千尋は、謎の少年・ハクに出会います。ハクに連れられて千尋は油屋という建物に向かい、彼に言われた通り油屋の主人である湯婆婆に「ここで働かせてください!」と頼み込みました。湯婆婆は契約として千尋の名前を奪い、千尋は「千」という名前で油屋に住み込みで働くことになりました。

転:カオナシが油屋に侵入し、千尋はハクを助けに行く。

不気味な姿をしたカオナシが油屋に侵入し、千尋以外の従業員たちは砂金を出してくるカオナシをもてなします。 一方、ハクは湯婆婆の言いつけで銭婆のもとから契約印を盗み出し、契約印にかかっていた魔法のせいで大けがを負いました。千尋はハクを救うために動き出しますが、その途中でカオナシを拒絶したために、怒ったカオナシが大暴れして従業員たちを飲み込み始めました。 しかし、その後千尋の機転でカオナシは従業員たちを吐き出して大人しくなり、ハクを救うため千尋とともに銭婆のもとへと向かいました。

結:千尋はハクと別れ、もとの世界へ。

なんとかハクを助け出した千尋。そして千尋は彼に本当の名前を思い出させたのでした。2人は油屋に戻り、千尋はハクと他の従業員たちの湯婆婆との交渉により、豚たちの中から両親を見つけられればもとの世界に帰れることに。 見事「この中に両親はいない」という正解を言い当てた千尋は、ハクといつか再会することを約束し、もとの世界の両親のもとへと帰っていくのでした。

物語の始まりは車の中。千尋と両親は神々の世界へ

本作の始まりは、千尋が両親の運転する車で引越し先の家に向かうシーン。拗ねたような、仏頂面の千尋が印象的です。 その後、千尋は両親とともに、人の全くいない神々の住む世界へ迷い込んでしまいます。そして食べ物を勝手に食べてしまった両親は、豚に変えられてしまうのでした。

豚にされてしまった両親と千尋、その違いは?

この両親と千尋とでは、性格が大きく違うように見えます。千尋がずっと戻りたがっていたこと、千尋だけが食べ物に手をつけなかったことからもわかります。この違いにはどんな意味があるのでしょうか。 これに関しては様々な見方があるのですが、「豚=人間の欲望の象徴」とする見方が有力なようです。バブル世代である千尋の両親。そして彼らとは対照的に描かれる、純粋な子どもとしての千尋。千尋の純粋さ、欲の無さは、物語中盤でカオナシの出す金を「いらない」と言ったことからもわかります。 社会に侵食され、欲を持つようになった両親と、まだ侵食されておらず純粋な千尋という対比は、このシーンによって際立っています。純粋な千尋には、自分たちがおかしな世界に迷い込んでしまったこと、そして食べ物に手をつけてはいけないことがわかったのでしょう。

たった一人、油屋に乗り込む千尋

豚に変えられた両親のところから逃げ出した千尋。ハクの助けを借りてなんとか「油屋」にたどり着きます。「油屋」の支配者、湯婆婆に頼み込んで千尋は油屋で働くことになるのです。

幻想的な場所「油屋」ってどんなところ?

油屋はとても不思議な場所です。見た目が特徴的なのはもちろん、働いている人たちや客も不思議な姿をしています。 そもそも「油屋」は、湯屋のことを指します。経営する湯婆婆も「八百万の神様たちが疲れを癒しに来るお湯屋なんだよ」と言っています。そして油屋の中にいる、不思議な姿をしたお客たちは神様なのです。

千尋の働く油屋。実は風俗店だった?

油屋について、実は売春を行う風俗店なのではないかという裏話が囁かれています。江戸時代にあった湯屋が売春も行なっていたこと、またジブリの関係者たちもそのようなコメントをしていたことから考えられたようです。 宮崎監督は油屋について、「現代の社会を風刺的に描くため、あえて風俗店のような油屋を舞台にした」とコメントしています。お客さんのために体を売り、搾取される風俗業界は現在の日本の社会そのものだと。 そんな社会で小学生の千尋が働く、というのは衝撃的な展開です。しかし子どもも働かなければいけなかった社会は日本において確かにあったし、世界の国では今も残っており、問題となっています。油屋の世界は決して別世界での話ではなく、私たちが目を向けるべき現代の問題を表しているのではないでしょうか。

「今からお前の名前は『千』だ!」名前を奪い支配する湯婆婆

千尋が湯婆婆のところで「ここで働かせてください!」と頼み込むシーン。そこで千尋が契約書に書いた名前は湯婆婆の手に吸い込まれていき、千尋は名前を支配されることとなります。その時の湯婆婆のセリフ、「今日からお前は千だよ!」を覚えている方も多いでしょう。

千尋が名前を間違えたのはなぜ?

千尋が契約書に書いた名前の漢字が間違っているというのは有名なエピソードです。 これがなぜなのかは正確にはわかっていませんが、ファンの間での考察の中では「名前を取られると元の世界に戻れなくなるから」という説が有力なようです。それをわかっていた千尋がわざと書き間違えた、と。 一方で、その説はおかしいのではないか、という意見もあります。ハクが千尋に「本当の名前はしっかり隠しておくんだよ」と忠告するシーンがありますが、それは千尋が契約書に名前を書いた後なのですから。 そのことから、千尋が本当の名前を書いてはいけないと知っているはずがない、ということに加え、千尋がまだ小学生であることから、単純に書き間違えただけなのではないか?という説もあります。確かにこちらも説得力のある説ですね。

「名前」が大きな力を持つ世界

しかしどちらにしても、千尋が本当の名前を書かなかったから完全には湯婆婆の支配を受けず、最後に元いた世界に帰れたのは確かです。ハクも自分の名前を思い出せずに、湯婆婆の手先にされていました。 それくらい、本作において「名前」は大きな意味を持っていると言えそうです。監督自身も本作を企画した際に、「言葉の力が軽んじられている現代において、『言葉は意志であり、自分であり、力』である」ことも本作のテーマの一つとして掲げていました。

作品一不気味なキャラクター、カオナシ。その正体は?

本作序盤から登場し、どこか不気味で強い存在感を持ったキャラクター・カオナシ。中盤では巨大化し、油屋中を大暴れします。 カオナシとは一体何者なのでしょうか?

「言葉を話せない」という手がかり

カオナシが他のキャラクターと大きく異なるのは、“言葉を話せない”という点です。言葉を話すためには他の誰かを飲み込んで、その声を借りるしかないのです。ここが、カオナシが何者なのかを考える上での大きな手がかりとなります。 この特徴から考えて、カオナシは“自我を持たない”キャラクターだと考えられます。言葉が大きな力を持つこの世界で、ただ一人だけ自分だけでは言葉を発せないカオナシは、自分の言葉を持たない、つまり自分の意志を持たない存在だ、ということを表しているのでしょう。

カオナシは現代の若者をイメージしていた?

宮崎監督もカオナシを「現代の若者をイメージした」とコメントしており、「ああいう誰かとくっつきたいけど自分がないっていう人、どこにでもいると思いますけどね」と語っています。 現代社会を風刺的に描いた油屋の中の、自我のない存在・カオナシ。終盤で銭婆の家という拠り所を見つけてからは、穏やかな様子に変わっています。現代の若者に限らず、すべての人の中にある闇の部分を描いているのかもしれません。

ハクを救うため銭婆のもとへ

魔法の力でけがを負い、苦しむハク。ハクを救うためには銭婆のもとへ行かなければいけません。千尋は釜爺から銭婆の元へ行ける電車の切符をもらいました。そのとき釜爺は「昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ」と言い、絶対に降りる駅を間違えるな、と忠告するのです。 千尋は電車の切符を手に、カオナシ、坊ネズミ、ハエドリを連れて電車に乗ります。作品終盤のこのシーンですが、ここには多くの謎が隠されています。

不思議な電車は現代社会を描いていた?

『千と千尋の神隠し』(ゼータ)
©Studio Ghibli/Disney/Photofest

この電車はいったい何を描いているのでしょうか? 監督自身は、「あの世界(電車の中)は我々が住む現代の世界と同じように、茫漠とした世界なんです」とコメントしています。行きっぱなしの電車というのは流れのようなもの。この流れとは、時流の流れ、または物理的な時の流れを表しているのでしょう。

不思議な電車の乗客たちの正体は?

電車に乗っているのは千尋たちだけではありません。黒く半透明な体をした、顔のない乗客たちがいます。彼らは何者なのでしょうか? 彼らにはカオナシと似た特徴があります。顔がなく、黒く半透明の体を持つその姿はもちろん、彼らも言葉を話さないのです。 そして行きっぱなしの電車に乗っているということは、彼らは自分の元いた場所には戻れないということ。それに加えて、彼らは自分の行き先を自分で決められない、また流れに身を任せることしかできない、という意味があるのではないでしょうか。 これらの特徴と、監督がこの電車の中を現代の世界と似た世界だと発言していることから考えると、乗客たちもカオナシと同じように自我を持たない存在として描かれているようです。

このシーンに隠されたメッセージ

しかし、このシーンには監督のあるメッセージが込められているのです。 電車の窓からは空や海が続く、この世のものではないような美しい景色が見えます。監督がこの景色を描いたのは、「千尋にこの世界にもきれいなところはあると知ってもらいたかったから」とのことです。 厳しいことばかりで、一人でなんとか必死にやっていかなければいけない世界の中にも、こんなに美しい景色がある。辛いことばかりの毎日の中にも必ず良いことがある、という意味にも考えられますね。これは、千尋に代表される普通の少女たちに向けられた監督からのメッセージなのです。

ハクを救った千尋。元の世界に帰れるのか?

千尋はハクを助け出し、一緒に油屋に戻りました。そしてハクと他の油屋の従業員たちは、千尋を元の世界に帰すよう、湯婆婆に要求します。湯婆婆は千尋に、「この豚たちの中から両親を探し出すことができたら帰って良い」と言い、千尋は見事「この中に両親はいない」と正解を言い当てるのでした。

千尋が正解を見抜けた謎

なぜ千尋は、豚たちの中に両親がいないことがわかったのでしょうか?これについても様々な考察がされています。 そのうちの一つが、「成長した千尋は真実を見抜く力を手に入れたから」というもの。油屋に来る前は臆病で無気力な少女だった千尋は、ハクを自分の力で救い出せる、勇気のある少女へと成長します。そんな千尋が真実を見抜けるようになったから、ということでしょう。この説が、ファンの間では広く支持されているようです。 また、「千尋が自分が誰なのかを忘れなかったから」というものもあります。自分の本当の名前を忘れなかった千尋は、湯婆婆の完全な支配を受けずにいられました。だから、油屋の他の人々にとっては皆同じに見える豚たちの中に両親がいない、という真実が見抜けた、という考えです。 そして「ここにはお父さんもお母さんもいないもん」という千尋の言葉にもある意味が込められている、という見方もあります。油屋で一人で生きていけるまでに成長した千尋は、もう両親がいなくてもやっていける。そんな千尋の成長という意味も持った台詞なのでは、という見方もあるのです。

元の世界に帰る千尋と油屋に戻るハク

千尋は元いた世界に戻り、両親とも再会しました。 その時、千尋は油屋での出来事を忘れてしまっているように描かれています。しかし銭婆にもらった髪留めは残っているのです。その理由については、監督もコメントしていないので正確なところはわかりません。 しかし、銭婆は訪ねてきた千尋に「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」と語りかけていました。このセリフが関係しているようです。

ハクとの別れ。二人のその後は?

元の世界へ帰れることはハクとの別れも意味します。「きっとまた会える」と話し、トンネルの前で千尋とハクは別れました。 ハクはその後どうなったのでしょうか? 当時公式サイトにも書かれ、多くのファンに支持されていたのが「世界のルールに従い、八つ裂きにされてしまう」という説です。 千尋を元の世界に戻すようにハクが頼んだ際、「八つ裂きにされてもいいんだね!」と湯婆婆が言うので、それには従わなくてはいけない、ということです。監督自身も別れのシーンを「2人の永遠の別れ」と語っていますから、その説が本当かもしれませんね。 しかし、別れの際にハクは「またどこかで会える?」という千尋の問いかけに「うん、きっと」と答えています。本作の舞台は言葉が大きな力を持つ世界ですから、もしかしたら2人は違った形でまた会えたのかもしれません。

大人たちにとっての「千と千尋」

少女たちに向けて作られた本作ですが、試写会では子どもたちよりも大人たちに好評だったそうです。 子どもたちからは、「面白かった」という感想の他に「怖かった」「嫌いだった」という感想も多かったとか。確かにカオナシが大暴れするシーンは子どもにとっては怖いでしょうし、深い意味のある作品という点では大人の方が楽しめるかもしれません。

大人たちが読み取れる本作のテーマとは?

本作には様々なテーマがあります。普通の少女たちは実は成長した千尋のような、大きな力と可能性を持っているということ。言葉は私たちの生きる世界でも大きな意味があるということ。どんな世界にもきれいなところはあるということ。 しかし、そのテーマの全ては銭婆の「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」という言葉に込められているように思えます。 どこにでもいる少女・千尋の成長譚である本作。「どこででもやっていける」という監督からのメッセージは、そんなどこにでもいる少女たちだけでなく、どこにでもいる子どもたちだった大人たちも受け取ることができるはずです。 豚たちやカオナシのように、欲深かったり、自分を見失ってしまった人々で溢れた社会でも、正しいことを見極めて自分を取り戻して生きることができる。それは大人にとっても子どもにとっても変わらない、ということを、大人になった私たちはメッセージとして受け取ることができるはず。

見る人によって違う解釈ができる作品

奥深いストーリーから長く愛される『千と千尋の神隠し』。様々な謎を考察できることも本作の魅力です。 少女たちに向けて作られた本作ですが、大人になってからも自分なりの新しい発見があり、見るたびに違ったことを感じられるかもしれません。これを機にもう一度見返してみてはいかがでしょうか。