2019年4月12日更新

『風立ちぬ』に宮崎駿が込めたメッセージを考察・解説 タイトルの意味や主題歌起用の経緯とは?

『風立ちぬ』
© Touchstone Pictures

宮崎駿監督が手がけたジブリ映画『風立ちぬ』。公開当時はその内容に賛否両論が巻き起こりました。宮崎監督が本当に伝えたかったメッセージを考察し、映画を解説します。

ジブリ映画『風立ちぬ』に込められたメッセージとは?【考察・解説】

スタジオジブリ制作の長編アニメーションとして宮崎駿が監督を務め、2013年7月20日に全国公開された『風立ちぬ』。原作は宮崎駿の同名漫画で、主人公は実在の人物である航空技術者・堀越二郎をモデルとしています。 戦時中に零戦など戦闘機の設計に人生をかけた堀越二郎の、運命の恋と儚く厳しい現実を描いた作品です。 主人公に共感しづらいという声や、二郎の声に違和感があるという批判がある一方、多くの賛同も得た本作。それまでのジブリ作品と違い、大人の観客に向けてメッセージを送った宮崎監督がこの作品に込めた想いとは何だったのでしょうか。

『風立ちぬ』はなぜ大人向けのジブリ作品になったのか?

映画製作の経緯

アニメーションは子ども向けに作られるべきであるという姿勢を、それまで一度も崩したことがなかった宮崎駿監督。しかしプロデューサーの鈴木敏夫は宮崎駿が描いた漫画『風立ちぬ』の映画化を提案しました。宮崎は昔から戦争反対を主張しながらも、戦闘機好きだったのです。鈴木はそんな彼の矛盾に、答えを出すべきだと促しました。 宮崎監督は『風立ちぬ』公式サイトの「企画書」で、本作の製作意図について、戦争を糾弾するものでも、零戦の優秀さを示すものでもないと述べています。そこで、堀越二郎は「本当は民間機を作りたかった」と彼の人生を正当化するつもりもなく、ただ「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたい」とも語りました。

主人公・堀越二郎のキャラクターについて考察

主人公となる堀越二郎のキャラクター造形は、様々なモチーフが取り入れられています。実在の堀越二郎を基にしつつ、性格や人物像にオリジナルの要素が盛り込まれており、戦闘機の風防を製造する会社経営に携わった宮崎監督の父親の人生も投影されているとのこと。 二郎の声優には「新世紀エヴァンゲリオン」や『シン・ゴジラ』の監督として知られる庵野秀明を起用。そこには、二郎のように夢想家で「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物」であるという庵野監督の“存在感”を評価していたという意図がありました。同様の理由で、宮崎監督自身も主人公に投影されていると思われます。 また『風立ちぬ』の堀越二郎の人生には、堀辰雄の小説『風立ちぬ』からの要素も取り入れられました。主に二郎が恋に落ちる菜穂子とのエピソードは、この小説から着想を得ています。

モデルとなった堀越二郎と堀辰雄の『風立ちぬ』

モデルとなった実在の堀越二郎は、零式艦上戦闘機の設計者であり、日本の航空技術者として世界的にも有名な存在。東京帝国大学で航空学を学び、三菱内燃機製造(現・三菱重工)に入社して戦闘機の設計に従事しました。 『風立ちぬ』との大きな相違点は、彼の結婚について。実際の堀越二郎は見合いで佐々木須磨子と結婚し、6人の子宝に恵まれています。後に零戦の制作過程を綴った『零戦 その誕生と栄光の記録』を執筆し、堀越二郎の先見力と創意工夫の極意が明らかにされました。 一方、本作のタイトルにも使われた堀辰雄の小説『風立ちぬ』は、掘自身の体験を元に“生と死”というテーマが描かれています。軽井沢を舞台に、重病に冒された婚約者とともに生と死を見つめて生きていく物語です。

夢の中に登場するカプローニについて解説

二郎の夢の中に登場する“カプローニ”とは、一体誰なのでしょうか。こちらも実在の人物で、ジョヴァンニ・バッチスタ・ジャンニ・カプローニというイタリアの航空技術者がモデルです。 1908年に航空機メーカー「カプローニ社」を創業し、第一次世界大戦中は連合国向けに、第二次世界大戦中は枢軸国向けに爆撃機や輸送機を生産しました。第二次世界大戦で使用された爆撃機“カプローニ Ca.309”は、別名ジブリ(Ghibli)といい、なんとスタジオジブリの名の由来となっています。 カプローニと二郎は時を超え、「美しい風のような飛行機を作りたい」という同じ夢を持つ同志として、夢の中で先輩のカプローニが二郎を励まします。この“美しい風のような飛行機を作る”という夢は宮崎監督のものでもあり、二郎と宮崎監督の“夢”をつなぐキーマンとしてカプローニが登場しているのです。

菜穂子やカストルプなどその他キャラクターの名前の由来は?

宮崎駿のこだわりは、サブキャラクターの名前にも反映されています。二郎の運命の恋人となる里見菜穂子の名は、堀辰雄の小説『菜穂子』に因んでいるそう。 さらに二郎の上司・黒川の名もやはり『菜穂子』の登場人物から取られているようで、同小説では菜穂子の夫の名前が黒川圭介といいます。また、二郎が所属している設計課課長の服部は、三菱重工業の服部譲次という実在の人物がモデルです。 軽井沢に滞在中、二郎と菜穂子の交際の立会人となったドイツ人・カストルプの名は、トーマス・マンの小説『魔の山』の主人公であるハンス・カストルプから。『魔の山』は二郎とカストルプとの会話の中で登場しており、小説の舞台も結核療養所で『風立ちぬ』との共通点があります。なお、カストルプの声を担当したのは、元ジブリ取締役で宮崎監督の友人でもあるスティーブン・アルパートです。

『風立ちぬ』というタイトルの意味

堀辰雄の『風立ちぬ』作中には「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩が登場します。これは、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』に登場する一節 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”を堀自身が翻訳したものです。 「風立ちぬ」の「ぬ」は、「風が立たない」という否定形ではなく、「風が立った」という過去完了の助動詞としての「ぬ」。そして「いざ生きめやも」の文全体のニュアンスには、「生きようじゃないか」という前向きな意味が込められています。 「風立ちぬ、いざ生きめやも」という訳には、原詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という決意めいた意味と、それが悲壮な決意であるという予感が、同時に内包されているのです。

主題歌「ひこうき雲」に関する考察と曲起用の経緯

もともと宮崎監督は松任谷由実のファンで、『魔女の宅急便』でも主題歌と挿入歌に松任谷由実の曲を起用しています。『風立ちぬ』で松任谷由実のデビューアルバムのタイトル曲「ひこうき雲」を起用することになった発端は、『魔女の宅急便』ブルーレイディスク化の記念イベントでのこと。 鈴木プロデューサーと松任谷由実がイベントに同席。『風立ちぬ』の作品世界が「ひこうき雲」にぴったりで、宮崎監督も気に入っている旨を伝えて、その場で公開オファーしました。 松任谷由実は「このために40年やってきたのかな」と嬉しさをにじませ、宮崎監督も完成報告会見で「胸にしみるものがあって生まれた歌だと思った」としみじみ語っています。 そもそも「ひこうき雲」は『風立ちぬ』のために書かれたのでは?と思えるほど、作品の世界に合っています。特に「空に憧れて 空をかけてゆく」という一節は夢を追う二郎を、「あの子の命はひこうき雲」はまるで菜穂子の儚い命を歌っているようです。

人の声が活用された効果音

『風立ちぬ』の効果音に人の声が使われていることをご存知でしょうか?宮崎監督のこだわりはこんなところにまで及んでおり、飛行機のプロペラ音や車のエンジン音、蒸気機関車の蒸気や関東大震災の地響きといったものまで、実に様々な効果音が人の声で表現されています。 スタジオジブリの長編映画でこのようなサウンドエフェクトを活用するのは初めてのこと。宮崎監督はそれまでにも効果音に苦心してきており、子どもの頃に経験した自分で声を出す擬音に立ち返って、人の声での効果音に挑んだようです。

タバコシーンで炎上していた!?

『風立ちぬ』には学生同士がもらいタバコをしたり、結核患者の菜穂子の横で二郎がタバコを吸うシーンがあります。これらの描写に異議を申し立てたのが、日本禁煙学会。公開後の8月、同学会は制作担当者へ「映画『風立ちぬ』でのタバコの扱いについて(要望)」という要望書を送付。たくさんの喫煙シーンに加えて上記のシーンを特に問題視しました。 鑑賞した観客の方でも、表現の自由を尊重するべきという声と、喫煙を助長しかねないといった賛否両論が巻き起こっています。時代の雰囲気を写す表現としては必要な演出と思える一方、喫煙シーンが多すぎるのでは?という意見も多かったようです。 愛煙家で知られる宮崎監督にとっては、おそらくタバコによる演出はなくてはならないものだったのかもしれません。

劇中に出てきた「シベリア」にまつわるトリビア

シベリア、お菓子、パン、フリー素材

ところで、劇中に出てきた「シベリア」というお菓子、気になりませんでしたか?『風立ちぬ』に登場した変わった和洋折衷のお菓子として、一時注目が集まりました。 シベリアはカステラ生地に、なんと羊羹が挟んである不思議なスイーツ。大正から昭和初期の定番おやつとして親しまれていたそうです。シベリアという名の由来は、シベリアの永久凍土層やシベリア鉄道をイメージしているといった説があります。 実は、劇中のシベリアにはモデルとなったお店のものがあるのです。それは西東京市にある高級洋菓子「サン・ローザ」のシベリアで、製作中のジブリスタッフが100個ほど買っていったとのこと。確かに直角三角形に切ったシベリアは、劇中のものにそっくりです。

引退覚悟で挑んだ宮崎駿監督の渾身作だった『風立ちぬ』

至るところに宮崎監督のこだわりが感じられた『風立ちぬ』。公開後の2013年9月、宮崎監督は本作を最後に長編アニメーションの製作から引退することを発表しました。引退は後に撤回されましたが、それほどの覚悟を持ってこの作品に挑んだということには違いないでしょう。 確かに『風立ちぬ』には宮崎監督自身の夢や人生が投影され、それまでのジブリ作品にはない特別な存在になったことは間違いありません。実際、宮崎監督は自分の作品を観て初めて泣いたとか。それほど思い入れの強い作品だったようです。 『風立ちぬ』のコピー「生きねば。」という言葉が、端的に宮崎監督の想いを表しています。二郎が生きた時代に似た、混迷の現代社会に生きる私たち大人に、「それでも、力を尽くして、生きねば。」と語りかけているのです。