2019年12月23日更新

『もののけ姫』を完全解説。隠された裏設定と宮崎駿の想いをストーリーと共に紐解く【ネタバレ】

もののけ姫
©Miramax Films/Photofest

1997年に公開されたスタジオジブリの『もののけ姫』。その内容には多くのテーマや設定が盛り込まれていました。そこで本記事では『もののけ姫』について、ストーリーを踏まえながらネタバレありで解説します。

目次

『もののけ姫』、スタジオジブリの代表作にして超大作を紐解く

1997年の公開以来、多くのファンに愛されてきた『もののけ姫』。テレビでも何度も放送されていますが、その度に大きな反響を呼んでいます。 しかしそのストーリーの壮大さによって、結局どんな物語だったのかよくわからない、どんなテーマの作品なのかよくわからない、という方も少なくないのではないでしょうか。 この記事では裏設定やテーマを読み解きますが、まずはあらすじを振り返ってみましょう。 ※本記事には『もののけ姫』のネタバレが含まれています。ご注意ください。

あらすじ「人間と自然」のテーマを中心に描く【ネタバレなし】

舞台は中世の日本。エミシ一族の長の家系にアシタカという青年がいましたが、ある理由によって村を追われてしまいます。 そして旅立った先でたどり着いたのはタタラ場と呼ばれる場所。アシタカはそこでタタラ場の人間たちと自然との対立を知りました。その後、森の神々のもとで暮らす「もののけ姫」ことサンと出会い、人間と自然とが共に生きる術はないのか、と悩むのでした。 そんなアシタカの悩みを他所に、タタラ場では人間たちが森に住む神・シシ神の首を獲ろうとしていました。そしてついに、人間たちと森の神々の戦いが始まってしまうのです。 今回はこのあらすじを元に、それぞれの場面に隠された意味や裏設定を、ストーリーを追いながら紹介します。

物語の始まり、村を救い村を追われたアシタカ

エミシ一族の長となることになっていた青年・アシタカ。しかし村を襲ったタタリ神との戦いの末、その右腕に呪いを受けてしまいます。アシタカは呪いのため、相棒であるヤックルと共に村を後にしました。

アシタカの受けた「死の呪い」とは?

タタリ神からの呪いを受けたことで、彼の右腕には痣があります。その呪いは一体どのようなものだったのでしょうか。 実は彼が受けたのは「強大な力を与える代わりにその命を少しずつ奪う」という恐ろしい呪いだったのです。 アシタカは村を出る前に髪を切りました。日本の昔の慣例には、死者の髪を切るというものがあります。つまり死の呪いを受けたアシタカは、それまでの高貴な身分ではいられないと、村を追われてしまったのでした。 その時婚約者であった少女・カヤから小刀を贈られますが、それは別れの際の儀式だったのです。

事件のきっかけ。タタラ場へとたどり着く

もののけ姫
©︎Miramax Films/Photofest

村を追われ西へと向かうアシタカは、狼に襲われていた男を助けたことをきっかけにタタラ場へたどり着き、エボシと知り合いました。 タタラ場の人々に長として慕われるエボシですが、監督の宮崎駿のメモによると過去に海外へと人身売買され以下のような経緯を経たという裏設定があります。 「倭寇(海賊)の頭目の妻にされるも、次第に組織を支配するようになった後、頭目を自らの手で殺害し明(当時の中国)の兵器と共に日本へ帰ってきた」 確かに彼女は高位の遊女のような姿で描かれており、明から日本へ石火矢という最新技術を持ち帰ったのだと納得ができます。

タタラ場の住人たち

エボシの治めるタタラ場には様々な人がいます。 特に目立つのが包帯を巻いた人々。彼らはハンセン病の患者だとされています。ハンセン病は本作の舞台となった、実際の中世の日本においても差別の対象でした。エボシはそんな患者たちを匿い、タタラ場に住まわせていました。 また働いているたくさんの女性たちは、元はエボシと同じく売られていた女性。奴隷として売られていた彼女たちをエボシは引き取り、働かせているのです。 タタラ場の住人たちは鉄を作ることを生業としていますが、中世日本においては製鉄業に従事していた人々も身分が低いとされ、差別の対象でした。 そういった「弱者」たちへの優しさも、エボシがタタラ場の住人たちから慕われていた理由のひとつだと考えられます。

森の神々、そしてサンとの交流

その後、サンがエボシの命を狙ってタタラ場を襲います。アシタカはサンを助けて重傷を負い、彼女と山へと逃れました。 サンは初めアシタカを殺そうとしましたが、「そなたは美しい」という彼の言葉に動揺して、彼をシシ神の元へと連れて行き助けるのでした。ここからサンは徐々に、アシタカへ心を開いていきます。

人間を憎むサン、その知られざる過去

本作全体を通してわかるように、サンは人間を憎んでいます。その理由は彼らがサンの暮らす自然を壊しているから。彼女は作中でも「私は山犬だ」と叫ぶシーンがありますが、これも彼女が自身を人間だと認めたくないからと言えるでしょう。 サンには赤ん坊の頃、モロの君を恐れた人間から生贄として差し出された過去があります。その後モロの君に育てられたため、山犬たちを家族のように慕うようになりました。 そんな悲しい過去を持ったサンには、ある都市伝説が存在します。それはエボシがサンの母親なのではないかというもの。そもそもサンが生贄にされたのも、自然を壊す人間たちが山の神々の怒りを買ったからであり、人間たちを守るためにエボシ御前が我が子のサンを生贄にしたのではないか、ということです。 サンがタタラ場を襲った際にも、エボシが彼女を殺さなかったことがその証拠とされていますが、もしもそれが本当だとしたらとても切ないですね。

戦いの始まり。人間たちが神々の住む森を襲う

もののけ姫
©Miramax Films/Photofest

朝廷からシシ神を討って良いとの許可を受け、エボシとジコ坊率いる人間たちは自分たちの邪魔をする森の神々との戦いを始めます。 人間たちと戦った森の神々は、モロの君、乙事主、そしてシシ神。乙事主はイノシシたちを率いて人間たちと戦いますが、怒りの余りタタリ神となりかけます。 宮崎も「タタリ神の姿は怒りが高ぶった様子を表している」とインタビューで答えており、神々は人間への怒りで憎しみの余り、その姿を変えてタタリ神となってしまうのではないでしょうか。 戦いをやめてタタラ場へ戻れというアシタカの説得も虚しく、ついにエボシたちはシシ神の首を取りました。そしてシシ神の体から出てきた不気味な液体によって、戦っていた男たち諸共、山もタタラ場も壊滅してしまうのでした。

戦いの終わり。そして物語も結末へ

壊滅した山を見て、森が死んだと絶望するサンを励ましたアシタカは、サンと共にシシ神の首を取り戻し、シシ神へと返します。デイダラボッチとなったシシ神は首を取り戻すと、朝日を浴びると同時に倒れて消えてしまいました。すると風が吹き抜け、それによってアシタカの呪いも解けるのでした。 神々との戦いで傷を負いながらも生き延びたエボシは、タタラ場の住人たちにもう一度良い村を作ろうと語りかけます。 そして「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」と言うサン。アシタカはそれぞれの世界で共に生きようと語りかけ、アシタカはタタラ場で、サンは森で暮らしていくことを決めました。その後2人は恋人同士になると宮崎監督は語っています。

サンとアシタカの未来は?

宮崎のアメリカでのインタビューによると、サンとアシタカはずっと良い関係を続けていくそうです。そしてアシタカは、サンとタタラ場の人たちのためにいろいろな努力を払うことになるとのこと。 そのためにアシタカは引き裂かれて傷だらけになりつつも、それを曲げずに生きていこうと思い、両方を大切にしようと思い続けるのです。だからこそ彼の生き方は、今の時代を生きていく生き方に共通するのだと語りました。 サンとアシタカがラストシーンの後に進んだ道は、決して簡単なものではないのかもしれません。しかし苦難はあるにしても、共生し双方が幸せになる方法、それがまさにサンとアシタカが選んだ道だと考えられます。アシタカの「互いの世界で共に生きよう」という言葉がそれを象徴していると言えるでしょう。 また宮崎駿が触れているように、これは現代を私たちが生きて行く上でも心に留めておくべきことではないでしょうか。国際化が進み、さまざまな文化を持つ人が混ざり合う中でどうすればいいのか?この映画はそれを考えるきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。

ラストシーンのコダマはトトロになる!?

もののけ姫
© Miramax Films

登場人物たちが新たな一歩を踏み出したところで、シシ神のいなくなった森が再生し始めたところにコダマが1匹いる、というシーンで物語は終わります。 このコダマですが、後に『となりのトトロ』のトトロになるという噂が。長い年月をかけて再生した森で、コダマに耳が生えトトロになるということになります。 不思議な話ですが、もののけ姫の舞台は今から約500〜600年前。白くて小さいトトロは109歳という設定があったため、確かに時系列的にはおかしくないのかもしれませんね。

ラストシーンの森の再生、その意味は

最後に再生し始める森ですが、実はそこまでの物語で描かれていた森とは様子が違います。元の森は原生林。つまり自然のままにできた森です。それに対して、最後で描かれる森は雑木林。人間の手によって管理された森ということになります。 本作の大きなテーマのひとつは、「人間と自然の対立」でした。自然を敬い共生しようとする古来の人間たち。対して自然への畏れを忘れて管理しようとする近代の人間たち、という人間の変化を表していたのかもしれません。

似た構造を持つ『風の谷のナウシカ』との違いとは

「自然と人間」という『もののけ姫』と同じような対立構造が取られている『風の谷のナウシカ』。1984年に発表されたこの作品の結末は、ナウシカが伝説の「青き衣の者」なのだということが判明し、王蟲たちが森へ帰っていくというもの。 『風の谷のナウシカ』は、あくまでも「自然崇拝」というスタンスを守っています。つまり理想郷の構築を物語の着地点として描いているのです。 一方『もののけ姫』では、対立関係の決着が付けられることなく物語が完結します。サンは共生を拒む姿勢に変化はなく、エボシは新しい村を作ると決意。アシタカだけが唯一、人間と自然との共存実現に奮闘することになるのでしょう。 自然が勝つわけでもなく、人間が勝つわけでもないという、『もののけ姫』は根本的な問題がそう簡単に解決されないことを伝えているのです。

宮崎駿が『もののけ姫』で伝えたかったこと

子供たちへの想い

宮崎駿
©︎Orban Thierry/MCT/Newscom/Zeta Image

今まで考察を進めましたが、『もののけ姫』を通じて宮崎はなにを伝えたかったのでしょうか。その答えは、「荒川強啓 デイ・キャッチ!」というラジオ番組において彼が答えたインタビューで読み解くことができます。 「(今まで子供たちに)エールを送るための映画を作ってきたんです。しかし、実際の子供たちが出会っている現実は、そんなエールだけでは済まされない。多くの問題を子供たちは全部知っているんですね、本能的に」 「人類がやっていることは本当に正しいのか……という根源的な疑問に真正面から答えないと、元気に希望を持って生きろと言いながら、本当は子供たちの一番聞きたいことに答えていないことになる。エンターテインメントの道を踏み外すけど、この映画を作らないと私たちはその先仕事をすることはできないだろうと思いつめたんです」 グロテスクなシーンやハンセン病を思わせる描写、そして終わりのない課題で溢れたストーリーを、あえて子供たちに見せた宮崎。そこには、世界の本質をみせる機会を奪ってきたエンターテインメント作品への問題意識が現れています。

「生きる」ということを考える

また舞台挨拶にて、彼は「損得ではなくて、生きるということ自体にどういう意味があるのかってことを問わなければならない時代がきた」と語っています。 「生きる」という行為が以前より安易に捉えられ、如何に得して生きていくかが重視されるようになった現代社会。生きることそのものの尊さや複雑さ、そして不完全さを1人1人が見つめ直さなければならない……。そう訴えかけているのではないでしょうか。 つまり『もののけ姫』は、数々の社会問題に全員が当事者として立ち向かい、あるべき世界とは何なのか、という問いを投げかけているのです。そしてその当事者には子供たちも含まれていると言えるでしょう。

『もののけ姫』は深いテーマを持った作品

今回は『もののけ姫』のストーリーと、裏設定やシーンの意味について振り返りました。長年愛される大作なだけあって、それぞれのシーンに深いテーマがありましたね。宮崎駿の想いも確認することができました。 ストーリー全体を通して根底にあるのは「人間と自然」というテーマ。自然に関して多くの問題が浮き上がっている現代だからこそ、見る人の胸を打つ作品と言えるでしょう。 さらに森のことを思って必死に戦うサンや、サンを守るアシタカから、私たちは大切な人のために戦う姿の美しさを感じることができます。またキャッチコピーの「生きろ。」や、それぞれ悩みながらも生き抜く登場人物の姿を通して、生きるものたちの持つ力強さに気付かされた方も少なくないはず。 『もののけ姫』は中世を舞台にしたファンタジーのようにも見えますが、現代を生きる私たちの心に響くテーマをたくさん持った作品なのです。