2019年1月25日更新

『メアリと魔女の花』が賛否両論になった理由を解説・考察 ジブリのつぎはぎ感にはワケがあった

2017年に公開された、スタジオポノックの記念すべき長編アニメ第1作目『メアリと魔女の花』。本作はスタジオジブリとの関係から注目を集めましたが、実際の評価は賛否両論のようで……?今回はその理由を徹底解説・考察していきます。

『メアリと魔女の花』はジブリとそっくり?なぜ賛否両論なのか

米林宏昌監督の長編映画第3作目『メアリと魔女の花』。スタジオジブリを彷彿とさせる美しい絵とアニメーションですが、本作はジブリ映画ではありません。 元ジブリスタッフたちが、2015年に立ち上げた「スタジオポノック」作品になります。ちなみに原作は、イギリス人作家メアリー・スチュアートによる児童文学『The Little Bloomstick』。ジブリとの繋がりから、"ジブリの遺伝子を受け継ぐ新作"として注目されました。 しかし、実際に観た人の感想は厳しいものも多く、評価は賛否両論でした……。 今回はなぜそうなったのか、制作経緯やジブリ映画と似ている点、同じ魔女を描く『魔女の宅急便』との関係などから解説・考察していきます!

『メアリと魔女の花』が制作されることになった経緯

『メアリと魔女の花』の誕生は、2014年にスタジオジブリの制作部門が解散し、『かぐや姫の物語』を以て休止状態になったことが発端でした。 プロデューサーの西村義明は、最後のジブリ作品となる『かぐや姫の物語』の制作に全力で挑み、完成後に米林監督に「今後も映画を作りたいか」と問いかけたのだとか。彼から「作りたい!!」と即答が返ってきたので、ジブリを去っても映画を作り続けようと決意したそうです。 部門解体の翌年、ジブリを退社した西村義明を筆頭に、米林宏昌など元スタジオジブリ関係者が集まり、アニメ制作会社「スタジオポノック」を立ち上げました。

メアリは『思い出のマーニー』の逆を目指すところから始まった

西村義明、米林宏昌、そして元スタッフたちが、スタジオジブリに代わる新しい居場所を求めて作り上げた「スタジオポノック」。 その記念すべき第1作目は、ジブリ時代の米林作品である"『思い出のマーニー』の逆をやろう"というところからスタートし、主人公もマーニーとは正反対の性格に。思い立ったらすぐ前に走り出す少女のファンタジーを描くため、動きの描写が得意なアニメーターが集結しました! 動き、という点でも、心の機微を静かに綴った「マーニー」とは対照的でした。 メアリの表情は喜怒哀楽でくるくると変わり、一昔前のジブリ映画を思わせる、子どもにもわかりやすいド直球のファンタジー映画になりました。

なぜ賛否両論と言われているのか

『メアリと魔女の花』はスタジオポノックの第1作目として、ジブリの遺伝子を受け継ぐ作品として、大きな期待が寄せられましたが……。 その評価は賛否両論で、SNS上では「直球のファンタジーだった」「ジブリっぽさを上手く受け継いでいる」といった好意的な声があれば、「過去の(ジブリ)作品のつぎはぎのよう」などオリジナリティの無さを指摘する厳しい意見も。 巨匠、宮崎駿監督の名作『魔女の宅急便』と比較されやすい題材を選んだこともあって、『「魔女宅」に引っ張られすぎ』という批判も出ていました。 また一部では、前情報を得ずに"ジブリの新作"だと思って観た人がいたようです。そのため、「(作りこまれた設定、謎を残したラスト、魅力的なキャラクター背景など)ジブリクオリティを期待していたのに裏切られた」などの感想もあります。これは、米林監督がわかりやすい物語を目指した以上、仕方のないことでしょう。

確かにジブリを彷彿とさせるシーンはたくさんあった

魔女の国を覆う巨大雲……【雲の上の世界といえば?】

世間を賑わせたつぎはぎ、パクリ疑惑に関して、どのジブリ映画を彷彿とさせるのか?ここから、具体的なシーンを幾つか紹介していきます。 ではまず、主人公のメアリが魔女の国に迷い込むシーンについて。 メアリは箒にまたがって空を飛んでいたところ、巨大な積乱雲に遭遇します。そして、荒れ狂う雲の中を突っ切ったその先に、天空に存在する魔女の国が現れました。この展開と入道雲や大木が出てくる描写はまさに、『天空の城ラピュタ』そのものですね。

エンドア大学に向かうための危険な階段

メアリが魔法世界最高学府「エンドア大学」の校長に会うため、階段を恐る恐る登っていくシーンは、『千と千尋の神隠し』に酷似していました。 「千と千尋」の主人公・千尋は、釜爺のところへ向かう途中、"崖に板が打ち付けられた"危険な階段を降りる羽目になります。その時のシーンでも、メアリと同様に恐怖心でいっぱいになっている千尋の様子が描かれていました。 このシーンの違いは、階段を登っているか降りているか、ほとんどそれだけでしょう。

動物が一斉に走っているあのシーンは……?

野生の動物たちが群れをなして一斉に走っているシーンは、『もののけ姫』を彷彿とさせます。 その上、メアリがピーターの元へ向かう時に乗っているあの鹿も、覚えがありませんか?『もののけ姫』の主人公、アシタカの相棒だった「ヤックル」を思い出さざるをえません。

エンドア大学の校長、マダム・マンブルチュークの登場

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(C)2017「メアリと魔女の花」製作委員会

エンドア大学の校長、マダム・マンブルチュークの登場シーンでも、『崖の上のポニョ』を観た人はどこか既視感を覚えるかもしれません。 なぜなら、『崖の上のポニョ』で生き物の姿になった水が動くシーンと、『メアリと魔女の花』で水が校長の姿となって動くシーンが酷似しているから!メアリを追いかける敵も、魚の形をした水のようなキャラクター造形で、「ポニョ」の登場人物たちにそっくりです。

実際にジブリ作品『魔女の宅急便』を強く意識している?

本作に対する批判で一番多いのが、「『魔女の宅急便』のパクリ?」というもの。米林監督はなぜ、比較されると安易に予想できる「魔女宅」と同じ題材にしたのでしょう? ポスタービジュアルには、"魔女、ふたたび"と書かれており、『メアリと魔法の花』が同作を意識していると公に示しています。実際にメアリの大叔母、シャーロットと家政婦のバンクスは、キキがニシンのパイを届けるお屋敷の老婦人と家政婦のようでした。 実は『魔女の宅急便』は、米林監督と西村が子供の頃に公開されたジブリ映画。そのため西村は、「今の21世紀の子供達にとっての『魔女の宅急便』といえるような作品を作りたい」と考えたのだそうで、思い入れの強さがうかがい知れます。 とはいえ、「魔女宅」には無い激しめの戦闘シーンもあり、この点ではむしろ『ハウルの動く城』を彷彿とさせるかもしれません。

『メアリと魔女の花』がこのような作品になるのは必然だった

『借りぐらしのアリエッティ』の監督も!ジブリ歴20年の米林宏昌

米林監督は、産経ニュースに"過去のジブリ映画に似た描写の真意"を問われ、「だいたい仕方がないんです。僕は20年間もジブリでやってきたんですから。」とやや開き直って答えました。その言葉通り、彼は近年のジブリ映画のキーパーソンでした。 彼は宮崎監督作品の原画、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』の作画監督補などで貢献し、『借りぐらしのアリエッティ』と「マーニー」では監督を務めました。 一方の西村も、『ハウルの動く城』や『ゲド戦記』、『崖の上のポニョ』で宣伝を、『かぐや姫の物語』『思い出のマーニー』ではプロデューサーを担当した重要人物。ジブリ映画に似た描写は、2人が捧げたオマージュではないでしょうか? エンドロールでは、「感謝」の文字とともに宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の名前が流れました。

監督としては主義や主張が弱い?謙虚な性格も影響?

米林監督は鈴木敏夫プロデューサーから、初監督作『借りぐらしのアリエッティ』の話を提案された時、一度は断ったのだそうです。 理由は「人に伝えたい何か(主義や主張の強さ)がないから」というもの。確かに謙虚さは美徳ですが、面白味には欠けるのかも……?その性格は作品制作にも伺え、宮崎作品を真似てキャラクターを描いたり、提供された家の設計図を素直に参考にしたりと、無理に宮崎駿との区別化を図ろうとはしませんでした。 監督作すべてが原作ものであるように、オリジナリティを前面に出すよりは、良いものを躊躇せずに取り入れる"誠実さ"が特徴なのでしょう。師へのリスペクトを忘れず、過去に培ったものが存分に活かされた結果、『メアリと魔女の花』は生まれたのです。 自身を冷静かつ厳しく分析していますが、「マーニー」は逆に"ジブリっぽくない"と言われた作品なので、決して個性が無いわけではありません。

米林監督にとっても宮崎駿の存在は大きかった

米林監督は『メアリと魔女の花』で数々のインタビューを受けましたが、「ジブリだったら絶対に通らない企画。宮崎監督が『魔女はもうやったからいい』と言うに決まってる」などと、折に触れて宮崎駿の話題を出していました。 それだけ、彼にとってスタジオジブリの親、宮崎駿は大きな存在なのでしょう。 制作発表当時から「やるなら覚悟を持ってやれ」と宮崎をはじめ、高畑勲、鈴木敏夫らジブリレジェンドに言われていたそうで、本作を観た鈴木は"ジブリの呪縛"にも言及し、「のびのびといい映画を作った」と語りました。高畑には「好感の持てる映画」と言われたそうです。 宮崎にも観てもらおうとしたものの、2017年6月22日のトークイベントにて、「俺は見ない」とコメントをもらったことを明かしています。 しかしながら、一つの作品を作り上げる大変さを誰より知る宮崎は、完成報告に訪れた米林監督を「よく頑張った」とねぎらいました。制作中、遅れに遅れていたスケジュールを心配して、差し入れを持って様子を見に来たこともあったのだとか!

そんな米林監督が『メアリと魔女の花』で描きたかったこと

WEB用_メアリと魔女の花_メイン(PC壁紙画像・携帯待受画像には使用できません)
(C)2017「メアリと魔女の花」製作委員会

『メアリと魔女の花』は"魔女"のコンセプトがクローズアップされていますが、米林監督は「魔女というより、魔法についての物語」だと明言しています。 とあるインタビューでは、「一番やりたかったことは、自分の力で道を切り開いていくこと。スタジオジブリという"魔法"を使って映画を作っていた僕たちが、その力をなくしてしまった後、どんな映画を作れるのだろうかと」と語っていました。 魔女が描きたかったというよりも、『魔女の宅急便』を観て育った彼にとって、"魔法を使う存在=魔女"だっただけかもしれません。 米林監督はそんな魔女を今、描く意義についても明かしました。 便利になり、パソコンのボタン1つで物が買える現代。けれど東日本大震災以降、変わらずあると信頼していた様々なものが失われるのを見て、便利さや信頼も魔法と同じようなもので、ある日突然消えてなくなるかもしれない……。 それでも前に進む大切さを、魔法の力を手にするごく普通の少女を通して描いたのです。

実際に『魔女の宅急便』とは違った「魔女」が描かれた

『魔女の宅急便』 (ゼータ)
©Buena Vista Home Ent./Photofest

実際に『魔女の宅急便』と本作は似ているものの、両者には決定的な違いがありました。 「魔女宅」の魔女は、"空を飛ぶこと"だけが唯一の取り柄のキキ。スランプで能力を失い、街の人たちとの交流によって成長し、自信と魔法の力を取り戻す物語でした。対する『メアリと魔女の花』は全く逆の構造を持ち、斬新な魔女の物語に仕上がりました。 キキとは違い、何の取り柄もない普通の女の子だったメアリ。彼女はある日、偶然に魔法の力を手に入れますが、いざという時に力を失ってしまいます。 しかしここで、メアリは魔法を取り戻そうとはしません。ジブリ映画へのオマージュを盛り込みながら、ラストでメアリに「魔法なんていらない!」と言わせたところに、米林監督の「何かに帰依しなくとも、自分たちの力で道を切り拓くんだ!」という強い意志が見えます。 これは米林監督が現代に向けた新しい魔女の物語であり、ジブリに最大の敬意を示しながら、その“ジブリという魔法”に別れを告げた作品だったのではないでしょうか。

『メアリと魔女の花』はジブリあってこその映画だった!

メアリと魔女の花
(C)2017「メアリと魔女の花」製作委員会

『メアリと魔女の花』は、スタジオジブリがあってこその映画で、オマージュも意図した上で行われたことが伝わったかと思います。 『魔女の宅急便』との関係も、ジブリという巨大な魔法にかかっていた米林監督たちが、自らの力で新たな一歩を踏み出そうとする決意の象徴でした。メアリを米林監督に、エンドア大学にスタジオジブリを重ねて観ると、よりわかりやすいかもしれません。 ジブリの呪縛からはなたれた米林監督が、その遺伝子を受け継ぐ仲間たちとどんな作品を作っていくのか、次回作以降にも注目です。