2023年7月5日更新

『もののけ姫』エボシ御前の壮絶な過去や裏設定とは!モデルは伝説上の人物?

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『もののけ姫』

1997年に公開された映画『もののけ姫』は、人間たちの思いや自然との関わり方といったテーマが複雑に絡み合い、視聴者に強烈なメッセージを与えます。そんな本作で重要な役割を担うのが、エボシ御前です。 エボシ御前は、「タタラ場」と呼ばれる工房たちの集落を取りまとめる女性指導者。全ての人々が平等に暮らせる世界を目指していますが、それが原因でサンや山神と敵対しました。 冷静沈着で頭も切れる上、サンに匹敵するほどの身体能力の持ち主でもあります。 この記事ではそんなエボシ御前を紹介!彼女の他の登場人物との関係や裏設定にも触れています。

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『もののけ姫』エボシ御前の基本情報

エボシ御前は「タタラ場」を統括する指導者で、外部との政治的やり取りも行う為政者です。タタラ場では女性に仕事をさせており、女性の権利を守り、男性より女性を信用して重用している向きがあります。 年齢は公式発表はありませんが、バックグラウンドや外見的特徴から考えて20代後半から30代前半くらい。勝気な性格ではあるものの、常に冷静に事に当たっています。 タタラ場では製鉄のほか石火矢の生産も行っており、それらを盾に領主のアサノにも屈せず独立を保っています。石火矢の名手であり、サンと対等に戦えるほど身体能力も抜群。迷信を信じず、森を開墾してシシ神を殺そうとしているため、サンとは対立しています。

エボシ御前の裏設定・モデルを解説

『もののけ姫』

エボシ様のモデルは伝説に登場する立烏帽子

実はエボシ御前にはモデルが存在します。それは伝説に登場する立烏帽子という鬼女。 元々は日本を魔の国とするため遣わされたものの、自らの討伐に訪れた田村丸将軍に一目ぼれしてしまいす。改心した立烏帽子は田村丸将軍と結婚し、子供も出産。 そしてその後は田村丸将軍と共に悪路王といった鬼たちを鎮めたのでした。 宮崎駿の別荘がある村が「烏帽子」という名前だったことにちなみ、モデルとして採用されたそうです。

壮絶な生い立ち

『もののけ姫』

『「もののけ姫」はこうして生まれた。』によると、エボシ御前には本編で描かれていない設定が存在しています。 身売りにされた女たちをタタラ場に保護しているエボシ御前ですが、実は彼女自身も海外へその身を売られていたのです。その後中国の倭寇と呼ばれる海賊に買われたエボシ御前は、倭寇の頭目の妻となります。 しかし腕を磨いていたエボシ御前は頭目を殺し、財宝と最新の技術を奪って戻ってきたのでした。 このように自分が弱い立場に立っていたからこそ、自分と同じような境遇の女性たちを救済する道に進んだのだと考えられます。

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エボシが死亡する設定が考えられていた?

『もののけ姫』

エボシはシシ神を撃ち「神殺し」を行うわけですが、頭だけになったモロに片腕を嚙みちぎられて重傷を負います。実は展開として、エボシが“死ぬ”設定も考えられていたそう。 「神を神とも思わぬ近代合理主義者は死ぬべき」という鈴木敏夫プロデューサーの意見を取り入れるかで、結果的にはエボシを“生かす”ことにした宮崎駿監督。それも、「生き残る方が大変」という深い考えがあってのことだったようです。

エボシ御前と他のキャラクターとの関係性

タタラ場の人々

『もののけ姫』

エボシ御前は身売りに出された女性や病人など、はみ出し者たちをタタラ場へ積極的に迎え入れました。社会的弱者である彼らに知恵や職を与えており、タタラ場の人々からは感謝と敬意の念を持って慕われています。 このことからエボシ御前が非常に人徳のある人物と言えるでしょう。

サン

『もののけ姫』

山神に育てられ自然を守ろうとするサンとエボシ御前は、立場を異にしています。エボシ御前は基本的にサンの「敵」として描かれていました。 しかしエボシ御前の行動も譲れないものがあるためであり、一概に彼女を「悪」と言い切ることはできません。 さらにこの2人にはある噂が存在しています。モロの君がアシタカに語ったところによると、山を侵しモロの牙を恐れた人間が逃れるために投げて寄越した赤ん坊が今のサンとのこと。その人間がエボシではないかという説が存在するのです。 モロの君がエボシ御前を憎んでいたことや、サンがタタラ場を襲った時に命までは奪わなかったことが理由として挙げられているのですが、明確な根拠はないためこの説は都市伝説の域を出ないといえます。

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アシタカ

『もののけ姫』

タタリ神に呪われ、村を出ることになったアシタカ。彼はコダマに導かれ、タタラ場に辿り着きます。 アシタカはそこでタタラ場の文化に触れ、彼らとサンたちの対立を目にしました。エボシやジコ坊にはわかり合うという考えはなく、文化の違うサンたちと争うことしかしようとしません。 アシタカはそんな彼らに「森とタタラ場、双方生きる道はないのか」と訴えかけます。 このようにアシタカは共生の道を歩もうとしているのに対して、エボシ御前はあくまで支配することしか考えられないのでした。

エボシ御前は「近代人」?宮崎駿の考えるエボシ様とは

エボシ御前は特別な能力は持っていませんが、非常に合理的な思考で動いています。自然と共に生きるキャラクターたちの中で、唯一自然を支配しようとしている存在。エボシ御前が自然を開拓しようとしたことが、『もののけ姫』の物語の発端となりました。 浦谷年良による書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた。』では、宮崎駿によるメモではエボシ御前を「近代人」と表現しています。彼女は侍の支配から逃れた理想の国を作ろうとしており、それを指して「革命家」とも言い表されました。 タタラ場を世俗とは無縁の場所にしつつ、分け隔てなく人々を迎えていました。タタラ場の人々には優しさと同時に、いざという時は切り捨てる非情さも見せています。 相反する2つの面を持っていることで、簡単には言い表せない複雑な魅力を持ったキャラクターと言えるでしょう。

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エボシ御前の声優は世界的女優・田中裕子

エボシ御前の声を演じたのは、女優の田中裕子。 田中は1983年の連続テレビ小説『おしん』で主人公の田倉しん役を務めました。『おしん』は日本で1年間の平均視聴率52.6%を記録。その後イスラム圏やアジアでも放映されたため、田中は世界的な女優となりました。 優し気な雰囲気の田中ですが、意志の強さを感じさせる声でエボシ御前を演じています。そんな田中はアフレコの前には演じる自信がなかったとのこと。しかし演技力の高さからか、エボシ御前の魅力を十二分に表現しています。

エボシ御前の名言・名シーン

タタラ場を守ろうとするエボシ御前は、思わずついていきたくなるようなカッコいい指導者。しかしその反面、神殺しを行う非情な合理的思考の持ち主でもあります。そんな彼女の名言を振り返ってみましょう。

「皆よく見とどけよ! 神殺しがいかなるものなのか」

『もののけ姫』

シシ神の首を取るため、ジコ坊とともにシシ神の森深くに侵入したエボシ御前。他の者たちやジコ坊ですら神殺しを躊躇する中、強力な石火矢を持って1人でシシ神の前に立ちはだかります。 このセリフは、エボシ御前がシシ神めがけて1発目を放つ前のもの。彼女がいかに迷信を信じず、シシ神を殺せば古い妄執から解放されると考えているかがわかります。

「みんな、はじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう」

シシ神の首を取った後、モロの復讐を受けて片腕を失ったエボシ御前は、ゴンザに抱えられながら瀕死の状態でタタラ場にたどり着きます。しかしこの時すでにタタラ場は、首を取られたシシ神の黒い体液で破壊し尽くされていました。 それでもエボシ御前はみんなを前にして、こう語りかけます。この時の彼女の顔は、良い未来を期待できる晴れやかな表情になっていました。

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エボシ御前は人々を導く強い女性

この記事では『もののけ姫』に登場するエボシ御前を紹介しました。タタラ場で弱い者たちを守り、より良い世界を目指す彼女。手段は好ましいものではないかもしれませんが、強く生きるその姿に魅力を感じる人も多いのではないでしょうか。 そんなエボシ御前には壮絶な生い立ちが隠されていました。それを踏まえた上で、改めて『もののけ姫』を観てはいかがでしょうか。

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